自分で読めるホロスコープ  

ちょっとした占いやちょっとしたスピリチャルまとめ 

料理が好き、掃除が好き、それって『無駄』なの?

今日は専業主婦の生きずらさに通じる話を少し。

4ハウスとか、ICとか、蟹座の領域の話に通じます。

 

私もそうですが、この部分がホロスコープで強調されている人というのは、

家での過ごし方や、自分のツールや、家族の在り方などが人生の重要なテーマとなる生き方になってきます。

外食より、綺麗な家でリラックスできる時間が最高な人かもしれません、

子育てに楽しみを見出す人かもしれません、

ずっと地元の学校を大事に思う考え方かもしれません、出方はそれぞれです。

 

私も上記のようなタイプです。

学生時代から多忙の母に代わり夕飯を作ったり、自分で弁当を作って通学したり、

会社員になっても、一人暮らしの家事を一通り難なくこなし、時にインテリアなどに凝ってみたり、そのため裁縫など勤しむタイプでした。

 

ですので、SNSや、雑誌等での昨今の『デキル人』像というのを見て、

少し衝撃を受けました。無駄を省いて

『あなたにしかできないことをやろう』という方針です。

 

 

料理だって、買えばいい。

掃除だって、買えばいい。

洗濯だって、買えばいい。

子育てだって、頼めばいい。

保育園のグッズだって、買えばいい。

宿題だって、大学生から買えばいい。

 

学生時代は勉強が取り柄で、今は家事が得意な凡人な私には

自尊心がえぐられる主張でした。

 

何でも自分でやるのって、やっぱり馬鹿なのかな・・・

自分の好んで行っていた事が、ことごとく買われる側だったということ。

 

そのブロガーさんや、その考え方を賞賛する多くの人にとっては、

『無駄』で『省かれる側』で『時間を持て余した人の贅沢』として見られている事や、その風潮が生きにくさじわじわ助長していたんだなと実感しました。

 

それと同時に、学生時代の『部活と弁当作りを両立した思い出』や

『宿題に苦心しつつ、何とか自分で克服できた』その過程まで非難されているように聞こえたのです。我ながら、老害のようなんですがね(笑)

 

勉強出来る子が、勝手に「仕事できない」イメージを押し付けられる風潮に似てますよね。SNSの中で影響力を持つ人の発言なのですが、最近多くみらる類の事なのでずっと気になってました。

 

その時、同時に断捨離の本など読んでいたり、身近で話すと必ず言われるのが

「なんで極めないの?」という話で、

私自身は、「各自が必要な分をやればいいのに、なぜ競うのか?一定レベル以上の所まで昇華しなければいけないものなのか」という、家事全般への疑問にも感じました。

 

別に極めなくても、自然とできて、ちょっと楽しくて、外注しなくても困らない、それくらいが心地いいなと感じるのです。

社会の『有能たれ』というメッセージと占い  

 

20年に渡る大不況の中でも伸びてる業界の一つが占いスピリチャル業界と言われています。
確かに過去の歴史の中でも、経済不安になると、新興宗教が流行るというのは世界各国で共通の歴史だったので、
今は、そんな不安な世の中なんだなというのは、少し悲しいですね・・・・(´・ω・`;) 
思うにこんなに流行るのは、日常で悩みを自分で解決できなくなった(絶対的な答えがなくなった)っていうのが大きい気がします。
 
人生の答えって、自分で見つけなきゃいけないっていろんな人が言ってますが、
昨今では、『悩む』『模索する』っていうのも許されない、
物理的にも、精神的にも、悩む余裕すらない、
そんな時間すら許さない世論があります。
 
特にネット上では、『生産的でない人間』『生産的でない時間』は、
無駄だと言い切るような声が大きく、日陰で悩む事で、さらに生きづらさを感じる人が増えるのが、今の日本には漂ってる気がします。
 
私が思うに、日々の小さい悩みって、以前は、
生活の中で自然に解決できなくなったんだと思います。
 

【集団での生活が当たり前だったころ】

 
村や一族が会するような集団で生きていた頃は、
ライトな会話の中でちょっとした相談事をして、また相手のちょっとした相談事を受けて、それを日々の中で、少しづつ話していくうちに、悩みの内容が変化したり、
自分のもっと内側の深い部分に気づけたり、そんな自己解決ができたり、相談先の糸口が見つかったりするのかなと思います。
 
嫌でも、顔を合わせないといけないから、それはそれで、良し悪しですが、
集団民族での生活の方が、人類の歴史にとって相当数に長いなら、
『生きにくい母集団の中で無難にやり過ごすノウハウ』や
『1000人の中から自分に合う人を見つけるノウハウ』って、
書籍にはならないけど、口頭伝承も含めると、膨大な数あったと思いますよ。
 
【昨今の求められる人物像】
今、本屋さんの店頭に並ぶのは
『瞑想』『マインドコントロール』『引き寄せ』『起業』『個性を仕事にする』『メンターの見つけ方』『役所への申請の仕方』『SNSの集客法』・・・・
自分1人で何から何までコントロールし、師を見つけ、会社を興し、すべて自己責任でやる。
100人の中でのちょっとした選択肢の中で選んで生きていけた時代とは打って変わって、賞賛される生き方のモデルが、有能な人間になり、個性を出して、成し遂げる」というもの。それも相まってか、何かSNSをしないといけないような、強迫観念めいた生き方のモデルですよね。でも、生物の形態はそうそう変わらない、子供が生まれてすぐ泣くように、時代が変わっても人間が生物として何千年も変わらない部分があるんです。
【不安な時代と占い】 
自由な分、選択の幅も数も多く、結果として自己責任のオンパレード、
占いで、せめて方向性だけでも、って考える人が多いのも分かる気がします(汗
そもそも、そんなに自分で何から何まで、できるのかって!?
スピリチャル業界で『ありのまま』が優しく聞こえて流行るのも、
『そんな強個性や、有能な人間になれないよ』『あらかじめ失敗のない安全圏の選択肢』をくれって叫びの受け皿になってる気がします。
 
そもそも人間も生き物なんだから、ペットや植物と同様に、感情も体調も不安定な時だってあるし、際立った個性がない人も多いんです。
 
安全に、継続的に、不安定な自分自身の事を少しづつ話せる相手がいない、かといって、安全に生きる方法や選択肢がない・・・
それが占い師がこんなに求められる時代の背景なんだと思います。